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今年もあとわずか

2019年もあとわずかとなった、世の中はすでに年末年始休業に入っていると思われるが私は現場の作業をせずに、卓上でできる書類関連、会計関連など普段集中できない業務をこなす。遠隔で少しはなれた場所でのんびりしながらリラックスもかねて行う。

 

今年は原因不明の高熱が3回も出た、無理があったのだと思う。のんびりすることも大事だ。自分なりの働き方改革を行い、政府がいうやりかたはあまり参考にならないと感じた。法律で働き方改革を唱えても意味がない、各個人と会社がどう変化するかが大事だ。これには何十年かかるのかわからないが、今までのやり方を変えること、変化することを嫌う人間も多い。しかし世の中見てみるとおかしなことも多く、ストレスも減らない。

 

欧米と通算で10年以上滞在し仕事をしてきて思うことがある。海の向こうでは生活が変わり賃金も上昇し、労働環境も改善している、しかしここ日本では20年経過してもあまり変化がない。そのスピードが断然に遅い。あと

20年も待っていれば私も高齢者の仲間入りとなるが、生涯現役を目標としている。退職金もなければ年金もあてにならない、であれば健康に気を使い、ストレスをためずに生涯現役を貫けるように工夫するしかない

 

2020年は東京オリンピックらしいが、その気配も感じない。ただ、年が変わり何をどうするかを考え、1つ1つ変化をするだけだと思う

乳剤がなくなる前に

製版をするには乳剤、別名では感光液という。紫外線をあてると固まる液体だ。これはスクリーン印刷にはかかせない備品であり、なければ製版ができない

 

在庫切れになってから注文しても遅い、感光ゾルと乳剤を混ぜ合わせてから1日おかなければいけない。なくなる前にゾルと混ぜて1日放置。常に先を考え、在庫する。急ぎ印刷の対応は人が動けばよいが、感光液は急げない

 

先週雪が降ったが、今週はあまりふらなさそうだ。暖冬なのかもしれないが、本格的な冬は12月ではなく、2月だと思っている。

領収証はいらない

業務効率化を図るためにクラウドを導入した、すべてがPDFとメールで処理できる。つまり紙ベースは不要だ

 

今までの手書きの領収証はいらない、在庫でもっていた領収証の冊子が2冊、未使用だ。もう1つは使用済みで残っているがほとんど使わない、何かの際に使用するかもとして保持するが、おそらく使わない

 

どんどん効率化でバリバリ手刷りで仕事をしなければ!

 

土日は休養を

先週半ばに再発した原因不明の高熱、2週間前にも出た同じ現象だった。原因はわかっているので、あえて医者にはいかずに自己治癒を試みる。 ストレスと頭の使い過ぎでやってくる神経性の高熱、簡単に言ってしまえば頭を使い過ぎで交感神経が暴走してしまい、体温のコントロールができなくなった、というだけだ。(これはあくまでも素人判断ではあります)

 

少し横になったり、仕事をする時間帯を変えたりと色々と調整しながら土日は何もせずに、富山県の宇奈月温泉に出かけた。チェックインも時間より早めに入れたのでそのまま横になり、リラックス。いつもはノートパソコンを持参するが、今回はあえてせずに休養に集中した。温泉も朝晩と2回つかり、アルコールも呑んだ。今年は紅葉は見れないと覚悟はしていたが、幸いにも絶景を見ることができたのでラッキーだとは思っている

 

日曜は晴れ間が出たのでトロッコ電車に乗ろうとしたが、観光客が多く予定通りに乗れなかったので諦め、妻子は富山電鉄で黒部に向かい、私は車でおいかけた。ほぼ終日なにもせずに過ごし、日曜の夜だけメール処理や製版を行い、それで週末を終えた。印刷は一切していない、現在の体調はほぼ回復、通常通りに戻っているといってよいであろう。

 

ここ数か月の仕事のスケジュールと生活を振り返れば異常とも言えるレベルを超えていた、世間一般で言えば過労死ラインを超えているほどだが、仕事が楽しい私にとって、そしてそれが生き甲斐にもなっているので気にはならなかったが、身体はそうは感じていなかったようだ。

 

これから師走となり、世の中ではインフルエンザも流行してくる。この先1か月は無理をするとたちまちやられてしまうので、無理をしないと決めた。これからやってくる案件も無理せずとも仕上げることができる。急ぎ、大至急仕上げの案件は事情を説明して納期をもらうようにすることに決めた。身体は正直だ、しかし温泉でリラックスするとたちまち回復するには驚きでもある

月曜はほとんど刷らなかった

とはいっても私はなんだかんだやることがあり、製版だったり、バキューム機械が壊れそうになりながらの製版をしたり、用意をしたり等、刷ることはほかのスタッフに任せてそのほかの仕事に集中した。土日も稼働したのでそれなりに終わらせてある、あとは今週の段取りや急ぎの出荷などを行った。

 

昼と夕方、別々の医者に通院し、今後の体調を管理するために休む意味もこめてある。今日からはフル稼働をして、どんどん仕上げることになるが、決算の打ち合わせで午前中はあまり刷ることはできないと思っている。その代わり午後から夜にかけてはどんどん印刷をしようと計画をしている。

 

先日だがお医者さんに言われたのが、先週の高熱はウィルス性でもなく感染症でもない、休んだら体調が戻ったのは過度のストレスが原因だと断定してもよい、とのことではあった。自分なりにもそう感じた。自己治癒能力で治そうと思っても体温がどうもおかしい、ウィルスではなくほかの原因だと断定はできると思っている。

 

これから師走にかけてますます忙しくなるであろうと思っている、また体調を崩すわけにはいかないので今週の土日は完全に割り切り、仕事をしないと決め妻子を連れて隣県の温泉場に行く予定で予約を入れた。支払いも済ませた、キャンセル料も発生するので100%出向くことに決めている。金曜まではそのためにできるだけ仕事を仕上げる予定でいる

人間の自己治癒能力をフル稼働させる 薬に頼らない

先週土曜日に突然発症した原因不明の腰痛に高熱、経緯はこうだ。外国からのお客さんを接待するために、新潟市へ出かけた。彼らが前回宿泊した際に訪れたあわしまという居酒屋のマグロの脳天が大変気に入り、そこの女将さんの娘さんがシンガポールで仕事をしているということで話が盛り上がり、再度訪問となった。

 

その日までは調子が良かった、最終電車で長岡に戻り翌朝起きたら腰が痛い。まともに起きれないし動きも遅い、しかし急ぎの仕事もたまっている、子供の音楽会もあったのでなんとか気合で動いたが、今度は同日夕方より発熱が始まり夜中には40℃の高熱に悩まされた。夜は寝れない、明け方に少しだけ睡眠がとれたかと思えば体温が38℃に下がっている。日中は37℃前後と熱がある状態ではあったが、身体は問題は無い。通常熱が出る=インフルエンザや風邪を疑うが、今回ばかりは身体の節々が痛くない。

 

インフルエンザかと思い検査を受けたが今年流行っているインフルエンザのどちらも陰性の結果だった。原因がわからないが、内科の先生は痛み止めを処方して終わった。私的には納得がいかない、引き続き高熱が続いたが、昼間は平熱に戻るので仕事はなんとか進めたが、薬を飲んだ後から体の一部が腫れあがった。特に顔面の片側の腫れが激しい。恐らく副作用だと思う。

 

物理的に問題は無いので、恐らく神経的な、精神的な原因だと思い精神内科に向かい事情を話した。こちらでも理由がわからないが夜寝れないということで睡眠薬と精神安定剤を処方された。その3種類を服用したら腫れがさらにひどくなった。これはもう薬の副作用と私には西洋医学の薬が合わないと自己判断し、処方された薬をすべてやめた。今となってはこの薬がゴミ扱いになり、二度と服用しようとは思わない。

 

周りからは高熱が出ると危ないから医者に行かなければとしつこく言われる、私は現代医学に反する考えを持つ頑固ものだ。まずは高熱がどこまで出るかを経過観察する、たいていのウィルスは体温が40℃になれば体内で死滅する。インフルエンザもそうだ、夜中辛いが40℃の体温を耐え続け、ウィルスが死滅するのをじっとこらえる。脳だけは40℃を超えると危険な状態になるので、氷枕で脳の周りだけを冷やす。その後体温が徐々に下がればウィルスの増殖がStopし、回復に向かっているという証だ。その間大量の水と塩(市販の食卓塩ではなく天然の岩塩、海塩に限る)を口にする。病院の点滴の成分は塩水だから同じことを口から体内に入れればよい。体温が下がらないからといって座薬や解熱剤を飲んでしまうとせっかくの自己治癒力で機能するウィルスバスターを抑制してしまう。身体が本能で体温をあげウィルスと戦おうとしているときに余計なことをして体温を下げればいつまでもウィルスが減らない。

 

しかし今回はこの方法が効かなかった、ということはウィルス性の病気ではないと思われる。体温をコントロールする頭の信号が狂ったのであろう。こうなれば頭を休めることに集中すればよいと判断した。

 

医師でもない私だ、そして医学も知らない、しかし自分の体は自分が一番理解すべきことと思っている。発熱もウィルス性ではないと感じればあとは交感神経の異常暴走と判断するしかない、頭を駆使し休みなしに連続で難しい仕事をしていたせいかもしれないが、それが身体からのSOS信号だと思えるようになった。100%の確証はないが、回転スクリーン印刷の版を左右に移動させるときに足元と目の位置がずれる、そしてふらつく。今までにないことだった、これはもう交感神経を休ませることしかないと思い、昨日は仕事をせずに海辺のカフェとパン屋さんで外を眺めながらリラックスすることにした。夜は21時前に眠りにつき、朝は6時に起きることにした。

 

腫れ、腰痛、どれも物理的にわかる現象ではあるが、血流が原因だと思っている。脳から出るほんのわずかな電気信号が異常電流を流しているのだと思っている。その異常を取り除けばよい。過度のストレスとプレッシャーが原因だと勝手に判断し、それを取り除くことに集中した。何をしたわけでもない、快晴の空を眺めてリラックス、パソコンの画面を見ない、スマホを極力見ない、夜遅い時間に寝ない、等々。左右移動で焦点が合わないということは三半規管が疲れているだけだ、日曜1日をリラックスに集中させてみたらほとんど身体が回復した。

 

周りからは精密検査や血液検査を進められるが、MIRや高度な検査でわかることでもない。最終的には薬を処方され経過観察という結論になるのであれば自己治癒でトライするだけだ。1週間経過したが、ほぼ通常通りに戻っている。薬は飲まない、再診で医者に行こうとも思わない。今日は一人仕事に集中し、夕方には近くの温泉に行き、リラックスすることに決めた。

原因不明の発熱と腰痛が収まった

土曜日から始まった突然の病状、月曜日には我慢できず近くの内科にいってみたが、原因がわからないまま痛み止めをもらいそれで終わった。しかし症状は変わらない、相変わらず夜になると37℃くらいになり、その後深夜にかけ40℃近くになる、そして朝起きるころにはまた37℃になっている。それで問題なく起きて仕事にいってはいるが、40℃近い発熱で夜中寝れないので身体が休まっていない。しかし不思議なことに眠気があまり来ない。

 

一番ひどかったのが日曜と月曜の夜だったが、火曜日の日中からは少し調子が良くなり回復傾向かと思いたいが、夜にかけてどうなるかはわからない。このブログは前日の夜21時に予約投稿で書いているが、その時点では発熱の傾向がないのでこのままいってほしいと思う。久しぶりに熟睡できると思うと気が楽になる。

 

原因が不明なまま夜中寝れなかったので、何もしないわけにはいかず、ネットでいろいろと原因を調べてみたが、ほぼ同じような現象に見られる病名が見つかった。それはストレスからくる神経的な発熱でウィルス性ではないらしい。治療薬もなく、解熱剤もきかない厄介な病だ。これはもう気分を楽にしてリラックスしながら無理をせず生活する以外に方法が見当たらない。

 

火曜日は久しぶりに音楽をかけ倉庫で少し仕事をしてみたが、それが良かったのか日中は調子が良かった。人間の体、少しの事でもリラックス効果があればよいとは思う。帰宅する時間もなるべく早くするようにして、月曜は21時に帰宅したら子供が起きていたので一緒に寝ることにした(私は朝まで寝れなかったが 汗)

 

ほんの数日ではあったが、これほど辛い思いを二度としたくはない、ましては入院するような事態になっていないだけ幸いだと思った。今後は身体の悲鳴をしっかりと聞きながら仕事を調整しようと思う、と決めた矢先に急ぎの無理難題がやってきた。もちろんすぐにできます、とはお答えしていない。

夜コツコツと

台風がやってきている土曜の夜、弊社のある神田1丁目は静まりかえっていた、もちろんどこもそうではあるが、倉庫の電気をつけ一人コツコツと仕事をした。連休前に入ってきて連休明けに急ぎでほしいというやらなければならない仕事をやることになったが、それよりは台風の影響で預かっている荷物に万が一の水漏れや洪水などで浸水被害を食い止めるために台風が去るまで見守りたかった、というおもいが強い。

 

24時を過ぎたあたりから雨模様が弱くなってきた、ところどころ風は強かったが、途中ほとんど雨が降らなくなり、一安心というところで倉庫に厚手の段ボールを敷き、その上に布団をおいて寝ることにした。段ボールは意外と温かい、若いころアメリカに住み、夜の飲食店でアルバイトをした記憶がある。当時は50km以上も離れている場所に住んでいたし、電車通勤だった。仕事の都合で終電を逃してしまい、帰宅できなかったことがある。アメリカで50kmを移動するのはなんも珍しいことではなくごく普通のことだ。

 

タクシーで帰るにも金額がかかるし、その日のアルバイト代を超えてしまうほどの出費になる。仕方なく地下鉄の駅、サンフランシスコダウンタウンのPowell Street駅の入口に段ボールを敷いてそれにくるまり、朝の始発をまった記憶がある。その時の外気温は5℃ほどだが、段ボールがここまで保温性をもつとはしらず、初めての経験だった。人間いざとなればサバイバル精神でなんとか工夫をする。いろいろな経験が今になり知恵と工夫として役にたっているかもしれない

台風が去った

日曜日は台風がきているので、土曜は心配になり、倉庫の貨物を気にしながら倉庫で寝ることにした。以前もほんの少しだけ雨漏りがあったので、どうしても気になり、倉庫で寝ればわかると思い夜12時くらいまで様子を見ながらとなった。日中の台風経過であればよかったが、ちょうど深夜にかけてだったので、寝る時間をずらしての観察だった

 

いつもは雨漏りしないような場所からほんの少しだけ水が出ていたが、雑巾でふき取りできるだけの量だったので安心した。そのまま朝まで寝たが、特に被害もなく終わった。翌日は近くの信濃川の決壊があやうかったが、弊社は問題なく日曜をむかえることができた。

 

日曜もフルで稼働し、そこそこ仕上げることができた。あとは月曜日にもっと仕事をすれば今週のスケジュールに間に合う案件ばかりだ。突然やってくる案件を仕上げるために土日を予備日としているが、その予備日が足りなくなってきているのでフル稼働している。

 

台風の被害は恐らく関東の方が大きかったと思うが、何事もないことを祈りたい

20年の変化

昨晩北米より戻った、たまっている仕事をすすめるために夜中まで段取りを組み、あとはやるだけだ。時間との勝負ではあるが、1つ1つこなせばできるものばかり。消費増税の多忙までは予想していなかったので、計画時点では何とも言えなかったが、それでも増税をするかしないかでわからない世間ではあったので遂行するしかなかった

 

10月も毎日毎晩連続で仕事をするが、私が本格的に稼働できるのは夜静まり返った場内のみで、昼間は仕事らしきことがあまりできない。土日は最適な時間なのでそこで一気にいろいろ仕上げるしかない。これはもうここ半年で経験しており、効率よくするには夜と週末に動くしかないという結論になっている。

 

北米のカリフォルニアには20年前に仕事で住んでいた。その時の時給はレストランで8ドルほど、それが今回は15ドル、2倍になっていた。それだけ成長し経済が動いている、生活の質もあがっているのであろう。ところが日本は20年経過してもほとんど変わっていない、何かがおかしいと感じたが、これは外に出てみなければわからないことだ。メディアも放送しないしあまり言わない。どうも情報発信に疑問をもってしまう

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