昨晩は午後から出先のアメリカでのお客さんとクリスマスをどう過ごすか話し合い、結局のところ仕事も企業もどこも25日が終わるまでしまっているので、ドライブをすることになった。仕事の方も最初の1週間でほぼかたづけることができたので、あとは出発の大みそか前までに残りの仕事に最後の片づけをするだけとなった。
今回は余裕をもっての滞在なので比較的夜遅くまでの仕事も少なく、いつもよりはリラックスした雰囲気とはなっている。今まで数年の間はプロジェクトがあり渡米する毎に夜中までの仕事に早朝からの仕事と、ほとんど仕事漬けになっていたので、それとはまったくの対照的な仕事になってはいる。思えばいろいろと出来事があったのではあるが、今回はその方の会社清算ということで渡米しているのだから気持ち的にも 悲しい部分もある
経済の良し悪しにかかわらず、やはり企業というものは生まれてきては死んでゆくというサイクルがあるのかもしれない。新たに立ち上がって急成長する企業もあれば、その波に乗れずたたんでゆく企業もある。
弊社は幸いにも父親の代から続いており、もうすぐ40周年となる。町中の小さな工場ともいえず、単に住んでいる家の1階部分が作業場になっているだけのシルクスクリーン印刷屋ではあるが、そこへ私が入るようになり、パッド印刷(パット印刷であったりタンポ印刷とも呼ばれている)と曲面印刷を導入したのが変化ともいえる。
特になにもせずにいままでのシルク印刷(平面)を続けていればそのうち事業も閉鎖していることになったであろうかもしれない。私としてはこの先何十年もこのシルクスクリーン印刷という商売を続けて生計をたててゆかなければならない。そう考えるとどうしても新しいことに挑戦や人がやっていない印刷技術に方法を見つけなければならない。以前弊社には大型のパッド印刷機も導入されており、稼働していたのを覚えているが、流れ仕事がなくなったと同時に先代が売却したそうだ。私はその記憶とパッド印刷の可能性がどうしても忘れることができず、新たにパッド印刷機を導入し、形あるものへの印刷を開始した。それでも設備投資で使えるお金などあるわけもなく、手軽に導入できるパッド印刷機を半信半疑ながらも導入、世界最速であり最安値かもしれないパッド印刷機を手に入れて、今では私の中で最高の投資だったと自負している。
年末には日本に帰国することになり、そのまま正月を返上して大型の印刷に特殊ボールペンへの名入れ治具を作ったり、フィルム出力をしたりと、いろいろとやることが出てきてはいるが、仕事があることがありがたくていてもたってもいられない