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入学式だった

印刷とは関係ないが、先週の金曜日は長女の入学式だった。一生に一度ということで、午前中は仕事をせずに、夫婦ともに入学式に出席をした。

私の母校でもある長岡市立坂之上小学校、今は校舎が新しくなり昔の面影等まったくなかったが、校歌や伝統教室といった昔の名残はあった。米百俵でたてられた学校ということで、長岡市内でも一番模範にしている学校らしく、教育内容もなんとなく先をいっているとの話も聞いたことがある。

今の世の中をみていると米百俵の精神などどこへいってしまったのかと思うくらいおかしな世の中になっているのではなかろうか?と感じることが多すぎて残念だ。飢餓にならないよう送られた米をお金に換えて学校を設立した小林虎三郎の精神は現代人の中にはたしてあるのだろうか? 日々のニュースを見ていると、国民から集めた税金は予算消化や箱もの建設で消えてしまうような世の中がいまだ続いているようで残念だ。

私は子供には勉強だけをしなさい、というある意味教育思想を押し付けようとおもわない、それよりは子供のうちはどんどん遊ばなければ大人になって遊べない。進学のために塾や家庭教師を小学生のころからつけようと思わないし、正直学歴で就職が変わるという事はないと断言できるからだ。

もちろん学業はできないよりはできたほうが良いとは思うので、成績が悪いよりは良い方がいいとは思うが、それが必須だとは思わない。例があまりよくないかもしれないのは重々承知しているが、日本で一番有名であろう東大を卒業してもシルクスクリーンの印刷はできないとは思う。卓上の理論を頭に詰め込んで現場をしらなければ即戦力にはならない。

私は幸いなのかはわからないが高校までは日本で、その後アメリカの大学を出て米国の就職の厳しさをもろに味わった。会社は新人を育てないのがアメリカで、いきなりの即戦力として容赦しない。できなければ新人であろうが中途であろうがすぐにお払い箱になっているのを何度も見た。学歴も関係なく、ようはできるのかできないのかでその人の会社での立場と地位が決まってしまう。そんな中で揉まれたので、今は何があってもなんとかしてしまうという変な自信だけはついたのかもしれない。

今週もいろいろな行事があるので、忙しい週になりそうだ、米百俵ではないが、仕事(米)があるだけで幸せだと思える心をいつまでも持ち続けたいと思う