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忙しかった週末 扇子名入れにパッド印刷

週末はテキサスの学生が来ている間に遅れていた仕事を取り戻すことでフル活動した。土曜は朝から夕方まで、日曜は娘が寝ている午後の数時間を使って梱包などを済ませた。

土曜日は先週から依頼されていた扇子へのパッド印刷を完成させた。ベタ面がありなおかつ細い文字部分もあったので、製版がなかなかうまくいかなかった。4-5回程作り直して結局は一番最初に製版した物がベストであったことに気付いたときは既に3日も経過していたので、少し悔しかった。しかしそれも勉強と経験になったと思い、いまでは良かったと思う。

刷り方もいつもと同じではなくいろんな方面からチャレンジ、希釈もパッドの押し加減も調整でき、これも貴重な経験となった。いままではボールペン印刷やゴルフボール印刷という比較的文字のみで簡単なパッド印刷ばかりだったので、ベタ面がでてきた仕事での収穫は大きかった。

正直自分の中では100%満足のゆく結果ではないが、土曜のうちに顧客に見せてOKが出たのでそのまま100本仕上げた。サンプルで1つもらえるか聞いてみて、OKという返事がでればそれを使いいかに完璧に仕上げることができるか研究したい。

今週は6月最後の週になるが、仕事がたくさんあるのでうれしい限りだ。

東南アジア出張 コスト削減

シルク印刷業なのに東南アジアに出張とはいかに?と思った方もいるかもしれない。

シルク印刷やパッド印刷の事業を継いでから1年程度ではあるが、継いだ当初は売り上げが少なかった。正直先代(自分の父親にあたるが)は廃業を考えていたくらいの落ち込みであったので、私も継ぐとは考えてもいなかった。が、突然の父親の癌宣告、1か月後の他界となり、いままでお世話になったお客様に廃業いたします、とも言えなかったのが正直なところではある。初めは乗り気ではなかったが、やればやるほど面白いのがシルク印刷とパッド印刷であった。デジタル化社会の中でシルク印刷等全く需要がなくなるのではないかと半信半疑で始めたが、探せば仕事などいくらでもある。世の中に印刷していない物がないくらいとも思え始めてきた。

が印刷の仕事だけではまだまだ生活に余裕が出ないので、以前の仕事関係の貿易を使い、東南アジア向けに食品の輸出や逆に輸入等をコツコツはじめてみた。それ程足しにはならない事業ではあるが、片手間を見つけては何かしらの貿易を行い、今では多少の大口案件まで確保できるところまで成長してきた。今回は1つ大きなプロジェクトがあるのでその打ち合わせと久しぶりに顔合わせをしていろんな話をしてこようと思い、週末を使ってのとんぼ帰りの出張を入れた。今日の夕方には地元長岡を出て、夜の便でシンガポールに飛ぶことになっている。

話は変わるが先日取引先の社長さんと話した中でコスト削減が出てきた。お互い零細企業ともいえるほどの規模かもしれないが、その中で100円200円のコストをいかに日々削るかの重要性を語った。私はかなりコスト削減に関しては敏感な方で、10円でも20円でも何とかして削減できないか、と日々探している。代替品のきくものがあればそちらを試して問題がなければ乗り換え、現金払いをすれば安い物は現金で払う、銀行手数料がもったいないので集金に行く等、塵も積もれば山となる感覚でやっている。

コスト削減は辛いと思ったらそこでアウトだが、私はコスト削減を楽しんでやっているので全く苦にはならない。何か安い物を見つけてそれが使えるとわかった時の感動は他にかえられないくらいだ

GW明けのバタつき ボトル印刷

GWが明けた。期間中は妻の実家に帰省、月曜日に以前の会社社長との会食があったので、新潟に戻ったのは火曜の夕方になった。

少したまっていたフィルム出力や出荷、メール処理等をこなし、火曜は早めに就寝しようかと思ったが結局は24時前まで仕事が続いたので、昨晩は早めに寝ることにした。

昨日の時点でなかなか難しい印刷依頼が舞い込んできて、いろいろと調べていたが、最終的には顧客判断となりそうな案件だ。既に便詰されている日本酒のボトルに印刷をしてほしい、という内容だがインキの乾燥で焼き付けをすることができない。普通の便であればそのまま乾燥炉に入れて高温で焼き付けすれば翌々日には納めることができるが、日本酒がすでに詰まっている状態なので焼き付けなどできない。自然乾燥でも密着するインキ探しで、数社程候補が出た感じではあるが、実際に試験してみなければわからない。

フィルムを貼ってしまえば簡単なのであろうが、高級感を出すためにどうしても印刷をしたいとの事だ。

実験段階にはなるかもしれないが、案件が決まったらいろいろできるので、これまた楽しみな仕事になりそうではある

これからの印刷とマーケット

毎日仕事をしながら思う事がある。それは弊社には流れの仕事が全くないということだ。以前私が子供のころの記憶をたどれば、それなりに流れの仕事があったように記憶している。あるメーカーの箱の印刷、化粧箱に捨て看板。ほぼ毎日が忙しく夜まで駆り出されて子供なりに手伝っていた記憶は途絶えない。

あのころが懐かしいと思うときもある。あの時代を経験した先代(父親になるが)は今の現状を見て一時は廃業しようと考えていたらしい。そう思うのも無理もないと思う。それなりに版代で儲けが出せていた時代とは一転して今は版代なぞ取れるかとれたとしても本当に微々たる金額になる。落版の手間暇を考えればトントンか赤字だと思うくらいに値段が落ちている。それでも弊社は幸いにも社内で全てできるのでまだコストは低い方だと思う

そもそも私がなぜ家業のシルク印刷業を継ぐことになったかと言えば、突然の先代の末期がん宣告により、急きょ仕事をしていたドイツを離れ、帰国することになったからだ。帰国の時はいろいろと考えたが、まずはお客様、お得意様第一なので、儲かる仕事なのか将来性があるのか等まったく気にはならず、お得意様に迷惑をかけてはいけないという思いで帰国を決断した。

実際に戻ってきてやり始めてみれば、面白い仕事ではある。儲かる儲からないかと言われれば儲けは全くといってよいほど無く、母親と二人でなんとか飯を食べていけるくらいの売上は稼げているといってよいであろう。子供のころに聞いた売り上げの金額からすれば1/5にも満たないくらいの額に激変している。だが、このまま胡坐をかいて座っているわけにもいかないので、コスト削減から売り上げアップまで毎日試行錯誤でやりくりすることにした。儲かっているときほど慢心が広がってしまい、何とかしなければ、どうすればコスト削減になるか等考えることはなかったであろう。幸い今の状況下におかれ、様々なコスト削減方法や売り上げUP、顧客拡大方法を学ぶことができたし、今後も常に続けていこうと思う。

儲けも仕事もそれ程無いが、日々試行錯誤をして頭を使う=脳の活性化につながっているかと思い、日々過ごしている

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